春を思わせる陽気に誘われ、久々にインディアン100ccボーイズスクランブラーをガレージから引っ張り出してみた。キックを数回踏み下ろすと長い冬眠から目覚めたかの様に、ブルブルとスリムな身体をふるわせ始めた。実は、このインディアンに関する正式名称や生年月日などの詳細に関しては不明な点が多い。70年代初頭に作られたハニービー(ミツバチの羽音にちなんで私が勝手にそうよんでいる)には、日本製のフジというメーカーのエンジンが積まれている。当時のインディアンのなかには、エンジンを始め主要なパーツをイタリアや日本のメーカーから
集めて組み上げた、小排気量のモターサイクルがリリースされていた。このハニービーもそんな時代に作られた一台なのだろう。その鼓動は甲高く周囲にとってはディスターヴィングなサウンドなのだろうが、ミツバチの羽音の様なエンジン音を奏でながら、けなげにモクモクと走る。ハニービーはビーチクルーザーとして波をチェックしながら海岸沿いの国道をユルユルと走ったり、アフターサーフィンの楽しみとしてライブに出掛けるのにうってつけのモ
ーターサイクルなのだ。今では、スポーツとしてのイメージが定着したサーフィンだが、モーターサイクルの世界と同様に本来はオシャレで洗練されしかもいくばくかの不良っぽさを持ちあわせた、とっておきのお遊びかつお楽しみなのだ。サーフィンが隆盛を極め始めた60年代からハニービーがリリースされていた70年代にかけて、カリフォルニアを中心にサイケデリックアートやヒッピーイズムが台頭し、各地で革新的なムーヴメントが巻き起こっていた。中でもサーファーの織りなす健康的かつユニークなファッションや楽天的なライフスタイルは、当時のニュージェネレーションのさきがけとして脚光を浴び、ビーチカルチャーへと発展して行った。
そんなビーチボーイのユニークなライフスタイルにいち早く注目したハリウッドは、彼らが繰り広げるビーチライフをモチーフにした映画制作を勢力的に行ってきた。それに伴いサーフィンは更に生活への密着度を高め、その流れは更なるサーフィンブームの引き金となりヒットチャートの上位にもサーフビートが台頭し始めた。かつては、ベンチャーズやビーチボーイズに始まり70年代にはセシリオ&カポーノ、カラパナ、オロマナ、パブロクルーゾそして現在に至っては、元プロサーファーのドノヴァン・フランケンシュタインやジャック・ジョンソンが奏でるアコースティックサウンドが多くのファンやリスナーの耳を楽しませている。ご当地日本では、今宵もカリフォルニアとハワイの70sサウンド満載のライブハウスThe Road and Skyでテストライダースやシンガーソングライターのケイソンとい
ったサーフミュージシャンがゴキゲンなサウンドで観客を乗せまくりライブを盛り上げている。確かにモーターサイクルを題材にした映画も数多くリリースされている。しかし、過去を遡っても世界的にヒットした名画『イージーライダー』の挿入歌として知られるステッペン・ウルフのBorn to be wildがモーターサイクルサウンドの代表格と成るのだろうが、歌詞の内容からしてもその時代のソウルや生き方を訴えてはいるものの、いまひとつライフスタイルが見えにくい様な気がする。モータースポーツやゴルフ等のメジャースポーツに比べるとマイナーでしかもアンダーグラウンドな薫りが漂う波に乗る単純な遊びが何故ここまで音楽やファッション、更にライフスタイルにまで深く影響しているかと言うと波に乗ると言う行為だけではなく、ライブなどのサーフィンを取り巻く環境や生活を楽しむアフターサーフィンが充実しているからなのだ。
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7月19日海の日。何でこの日が海の日なのかという、その意味がよくわからない。がしかし、休日が増えるのは大歓迎。本来ならば海にいるべきところなのだろうが、先日のレースが雨、晴天の富士を思いっきり走りたい、という気持ち+9月のレースの練習を兼ねてFSW(富士スピードウェイ)の本コースでの走行会に参加してきました。

『真夏』と言う言葉を耳にした途端、人生50回目の夏にして枯れるどころか、いまだに心がハジケ、ふらちな期待感に胸がトキメイテしまう。僕流にいわせてもらえば、大人の夏休みは宿題もなければ眠い目をこすりつつラジオ体操に行く必要もない。まったくもって無責任かつ自由気ま
まなのだ。
サイドクルージングを楽しもうとR134へと繰り出したのでした。
涼しい時間帯をクルージング、午後はエンジンと真夏の紫外線にほてった身体のクールダウンをかねてのサーフィンとシャレ込んだのであります。
のオハコを奪われてしまうのでは、と危機感を覚える程その魅力にハマってしまった。
ヴィンテージレーサーなのに何でラテンなの?と思われるかも知れないが、僕のNORTON LOWBOY のフロントマスクは、チェリアーニのオールドGPにフォンタナのビッグドラムと完璧なイタリアンテイスト。
ンの血が混ざったレーサーとインド系にしてラテン的な風貌と気質を備えた僕とは、何故か相性がいい。さて本題のレースですが、真夏のレースだけに時間の経過に伴い気温、路面温度が急激な上昇を続け、それに比例してタイヤのグリップも低下の一途を辿り、各クラスとも予選から転倒が相次ぐ波乱のレースとなったのでした。
僕がエントリーしたMAX15は、7台のヴィンテージレーサーに加え19台の新旧のイタリアンレーサーが出走僕らヴィンテージレーサーは、時代も車格もまったく異なるバイク達を相手に一戦を交えたのでした。
迂闊にも写真の手配が無く、速報として文章のみで配信させて頂きました。
はレインタイヤで行くと決めた。今までは雨のレースは苦手だったが、意外や意外、タイヤに助けられ雨もまんざらじゃないなと思えてきた。そしてまた、ウエットレースの楽しさをほんのちょっとだけ垣間見たような気がした。
ピットでは、すわっ!転倒かいったい何があったのかとザワメキがはしったとか。
締めくくりました。
本来ならば、バリ島までサーフトリップに来たのだから、サーフィン三昧の日々を送っていればそれでよし。がしかし、チョコッと顔を出したベスパのエンスー系ショップのように、どうしても当地のバイク事情が気になってしまう。



彼の奥様は日本人。しかもプロ級のボディーボーダーにしてサーフガイドだ。ならば彼が日本語をマスターしていても何ら不思議はない。がしかし、背中まで長く伸びたワイルドな髪、筋肉質の上半身にはバリ特有のタトゥーが刻まれ、右腕には15年間外したことがないというシルバーのチェーンが幾重にも巻かれている。この出で立ちにして、セレブリティ達がこぞって住むコンドミディアムに居を構えるワヤン。いったい何者? そう思わずにいられなかった。
こうしたお決まりのマナーが済み案内されたガレージを覗くと、そこにはワヤン自身の手によってカスタマイズが施された、’90年型スプリンガーとチョッパースタイルの’94年型ワイルドグライドが鎮座していた。バリでハーレーなんて似合わないぞ。とかくそう思いがちだが、ここバリにも正規ディーラーがありハーレー旋風が起こっているのだ。
7月4日の富士スピードウェイでのレース本番まで、残すところ6日とせまり、レースウィークも佳境を迎えようとしている。
先日、サーフィン雑誌の取材で天国に最も近い島ニューカレドニアを訪れた。本島グランデール島は、本国の食文化を物語るかのように首都ヌメアを中心にフランスパンに似た形で南北へと伸びている。そんな地形に伴い、信号もなく舗装が行き届いた速度制限なしのワインディングロードが島の中央を南北へと走る。いつものようにサーフトリップへ向かおうとしていたある日曜日、レ
ザースーツに身を包んだスーパーバイカーが車の何倍もの速度で軽々と、しかも堂々とロングボードを満載した我々のヴァンを抜き去っていく。給油と食料調達のためスタンドに立ち寄ると、カラフルなライダースやツナギを粋に着こなし、ドゥカティ999s、749、CBR、隼にNinja(フランス流だとニンジャー)等の最新型スーパーバイクに颯爽と跨がった老若男女が次々と集まって来た。どうやら休日恒例のスピードツーリングのようだ。南太平洋の灼熱の太陽の下であろうと正装に身を包むその姿にフランスのエスプリを感じたのだった。
今年も鬱陶しい梅雨が始まり思うようにモーターサイクルに乗れず、ストレスが溜まりかけている御仁も多いのではないだろうか。今回は、そんな“はやる気持ち”を押さえて少しでも和んで頂ければと思い、レイと月桂樹のリースにまつわるよもやま話を綴ってみようと思いたったのだ。
今でこそ冠を戴く習慣はなくなったものの、こうした先人達の教えは“レイを贈ると”言うセレモニーを通してハワイアンの心の中に深く刻まれ、その伝統的な行為は今日まで脈々と受け継がれているのです。